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愛知県は古くから野菜づくりが盛んでした。

おはようございます。

私共、スターナゴヤHPをご覧下さり、

重ねて御礼申し上げます。以前スターナゴヤにご宿泊頂いたお客様!

又、初めてスターナゴヤにご宿泊頂けるお客様、

毎日、愛知県下や名古屋に繋がる何かをテーマに選び

ブログを更新しております。

本日のテーマは愛知県で生産される農作物をテーマに致しました。

愛知県の伝統農作物がテーマです!

意外な愛知県産があります。どうぞ、お楽しみ下さいませ!

 

大根守口

愛知県は古くから野菜づくりが盛んでした。それは、この土地が温暖な気候と豊かな水や土に恵まれていただけではなく、農家の人々や、たくさんの人の力が関わってきたからです。 慶長19年(1614)下小田井(旧西枇杷島町)の青物市を描いた絵から活気ある様子がうかがえるように、経済的・文化的発展とともに全国各地からさまざまな野菜やその種も集まってくるようになりました。そして、尾張地域を中心に種や苗を育てて、農家に売る種苗業者が生まれました。彼らは知恵と技術を結集し、優れた品種を作り出して全国の野菜づくりに大きく貢献しきたのだろうと思います。

 

世界一長い大根が愛知県で生産されています。漬物として名古屋名物にもなっています!!世界一細長い大根として有名な守口大根は、かつては岐阜県で多く生産されていましたが、戦後になって扶桑町で栽培が盛んになり、現在では全国の6割以上の守口大根が扶桑町で生産されています。この守口大根は肉質が締まっているため漬物用として利用され、特に粕漬けしたものは独特の風味と歯ごたえがあり、名古屋名産「守口漬」として全国的に有名です。

その作り方は、始めに守口大根を塩漬けし、その後、酒粕やみりん粕に何度も漬け替えて2年余の歳月をかけて熟成させ、芳醇で味わいのある黄金色の守口漬ができあがります。


守口漬は食物繊維が豊富に含まれるとともに、褐色の色素メラノイジンには細胞膜を丈夫にしビタミンやミネラルの吸収を助ける効果があるといわれます。特に、栄養分を豊富に含むうなぎとの相性は抜群とされます

通常の大根より細長くゴボウのようである。世界最長の大根(世界最長種)であり、長さは120cm、最大は150cm以上(200cmになることもある)に成長します。味は辛いとされる。江戸時代より、主に現在の大阪市内に供給されていましたが、第二次世界大戦後は守口市の都市化にともない農地が減少したことおよび、栽培効率の悪さや栽培できる土壌が限られていることから、一般の野菜市場からは姿を消しているそうです。この地域は水はけが良いことや、木曽川に面した地域の地質が砂状で柔らかく、粒子の細かい適度に砂の混ざった土壌であることから、地下へ細く長く伸びる当品種の生産に適しているとされます。なお、生産はほぼ全て契約農家です。

 

| star-nagoya1 | 07:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
愛知県の隠れた名所かと思います!!

お早う御座います。

毎日、ブログを更新しております。

ホテルの情報だけでなく、愛知県下や愛知県近隣の県の

何かをテーマに見つけ、取り上げております。

決して有名では御座いませんが、何か由来ある何かや、普段、気にも留めませんが、テーマに選んでお届けいたします。

ご覧頂き、(へ〜!そうなんだ!)と感じて頂ければ、嬉しく思います。

とこなめ招き猫通り

愛知県の隠れた名所かと思います!!

とこなめ招き猫通りは名鉄常滑線常滑駅から常滑市陶磁器会館へ向かうための道路です。

東行 起点:陶磁器会館西交差点 - 終点:陶磁器会館前

西行 起点:陶磁器会館前交差点 - 終点:陶磁器会館西交差点

とこなめ招き猫通りの名称は常滑市がつけた通称であり道路の正式名称ではありませんので、ご注意を!道路南側の壁には常滑式の巨大な招き猫1体(幅6.3m 高さ3.8m 愛称「とこにゃん」)と招き猫三九体および陶製の猫のオブジェ11体が飾られており、陶磁器会館へ向かう道すがらで陶器に触れることができるそうです。名鉄「常滑駅」から東の陶磁器会館に向かう道路沿いのコンクリート壁に「巨大招き猫」、「御利益陶製招き猫」39体、「本物そっくりの猫」11体があり「招き猫通り」の名で親しまれています。巨大招き猫は常滑系招き猫の典型的な顔で、幅6.3m、高さ3.8m。壁の上にひょっこりと顔をのぞかせています。御利益招き猫は、常滑市の陶芸作家39人が愛情をこめて一体ずつ手がけ、39体に様々なご利益が込められています。本物そっくりの猫は、巨大招き猫のそばに設置され、近くで見てもまるで生きている猫のようです。

名鉄常滑駅から徒歩5分です

| star-nagoya1 | 07:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
野菜や食材の生産も盛んです!

おはようございます。

私共、スターナゴヤHPをご覧下さり、

重ねて御礼申し上げます。以前スターナゴヤにご宿泊頂いたお客様!

又、初めてスターナゴヤにご宿泊頂けるお客様、

毎日、名古屋や愛知県に繋がる何かをテーマに選び

ブログを更新しております。

少しでも雰囲気や認識を感じて頂ければ幸いで御座います。

本日のテーマは愛知県下の野菜生産日本1をテーマに致しました。

愛知県は工業の盛んな県としての認識が高いように思われますが、

野菜や食材の生産も盛んです!

 

愛知県は古くから野菜づくりが盛んでした。それは、この土地が温暖な気候と豊かな水や土に恵まれていただけではなく、農家の人々や、たくさんの人の力が関わってきたからです。 慶長19年(1614)下小田井(旧西枇杷島町)の青物市を描いた絵から活気ある様子がうかがえるように、経済的・文化的発展とともに全国各地からさまざまな野菜やその種も集まってくるようになりました。そして、尾張地域を中心に種や苗を育てて、農家に売る種苗業者が生まれました。彼らは知恵と技術を結集し、優れた品種を作り出して全国の野菜づくりに大きく貢献しきたのだろうと思います。

愛知県のキャベツは、作付面積、生産量ともに全国一で、特に冬から春にかけて県内をはじめ全国の消費地に出荷されています。
 その生産の歴史は、全国で最も古く、明治年代に名古屋市近郊で都市園芸として始まり、愛知の伝統野菜に選定された「野崎中生キャベツ」をはじめとする多くの優良な品種を全国各地に送りだしてきました。現在では、温暖な気候や用水が整備された立地条件を活かして東三河地域を中心に生産されています。


 キャベツは品種により春系と冬系に大別されますが、春系は柔らかく味が良いため生食用に向き、冬系は硬くしまって煮くずれせず、加熱すると甘みが増すことから調理用に向いています。
 また、キャベツは「自然の潰瘍(かいよう)薬」と呼ばれるビタミンUをはじめ、ビタミンCや食物繊維など、体に良い成分を多く含んでいます。
 おいしいものを選ぶには、外葉がみずみずしく、持ってみて硬く重量感があるものがよいとされています。

作付面積5,320ha  収穫量〜235,500t  産出額〜176億円

作付面積・産出額:全国1位生産量:全国2

キャベツ(英語:Cabbage、Brassica oleracea var. capitata)、アブラナ科アブラナ属の多年草。野菜として広く利用され、栽培上は一年生植物として扱われるそうです。名前は英語に由来するそうですが、さらにその語源はフランス語のcaboche(頭)から。別名の甘藍(かんらん)は中国語名の甘藍(ganlan)から、玉菜(たまな)は結球する性質に由来するそうです。由来は古代よりイベリア人が利用していた原種がケルト人に伝わり、ヨーロッパ中に広まったとされるそうですが、当時は野菜より薬草として用いられ、古代ギリシャ・古代ローマでは胃腸の調子を整える健康食として食されていたそうです。その後、9世紀頃に野菜としての栽培が広まりました。現在日本で普及しているものは、12世紀から13世紀のイタリアで品種改良されたものが起源とみられるそうです。18世紀にアメリカ合衆国へ渡ると、より肉厚で柔らかく改良が進んだそうです。

日本で普及したのは幕末の1850年代に伝わり、明治にかけて外国人居留地用として栽培されたそうですが、一般の日本人が口にすることはなかったそうです。1874年(明治7年)、内務省勧業寮がのちの三田育種場で欧米から取り寄せた種子で栽培試験を行ったのが、本格的な生産の始まりとされています。試験地は北海道に移され、北海道開拓使が発行した「西洋蔬菜栽培法」に、キャベイジの名で記載されたそうです。大正時代に品種改良が進められ、寒冷地に適することから、栽培は北海道のほか、東北地方や長野県で拡大したが、洋食需要が限られた戦前にはそれほど普及しなかったそうです。戦後、食糧増産と食の洋風化が相まって生産量は急激に増加し、1980年代にはダイコンと並ぶ生産量となったそうです。これ以前にも、江戸時代前期にオランダから持ち込まれ、一部で栽培されていたとみられるそうです。貝原益軒が1709年(宝永6年)に出版した『大和本草』にはオランダナ(紅夷菘)として「葉は大きくて艶がなく白っぽい。花はダイコンに似る!!!おいし!!!3年で花が咲き、カブの仲間である!!!」と紹介されているそうです。しかし食用として広まることはなく、むしろ観賞用としてハボタンを生むこととなった。また、ハボタンがケールの品種であることから、渡来したのはキャベツではなくケールだったと考えられます。

| star-nagoya1 | 07:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
広小路にかかる橋、納屋橋の袂に御座います。

おはようございます。
私共、スターナゴヤHPをご覧下さり、
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又、初めてスターナゴヤにご宿泊頂けるお客様、
毎日、愛知県下や名古屋市内に繋がる何かをテーマに選び
ブログを更新しております。
少しでも名古屋の雰囲気や認識を感じて頂ければ幸いで御座います。
本日のテーマは名古屋市内に残る、残さなくてはいけない、
文化的建造物をテーマに致しました。どうぞ、お楽しみ下さいませ!

旧加藤商会ビルは愛知県名古屋市中区にあるビル。

広小路にかかる橋、納屋橋の袂に御座います。

スターナゴヤからは車で10分ぐらいでしょうか?

 

名古屋に本拠を置き、主に外米などの輸入貿易を行っていた加藤商会の本社として
堀川に面する納屋橋のたもとに建築されました。大正
5年(1916年)に煉瓦造りの
旧社屋(地上
3階・地下1階)が建てられましたが、昭和6年(1931年)には現在の
鉄筋コンクリート造りのビルに建て直されたそうです。ちなみに外観のデザインは
旧ビルとほとんど変わらないといそうです。昭和
10年(1935年)、加藤商会の創業者で
ビルの所有者であった加藤勝太郎氏がシャム国(現在のタイ王国)より
名誉領事に任命された事から、昭和
20年まで領事館が置かれたそうです。


 

勝太郎氏の死後、昭和32年(1957年)に加藤家は加藤商会へとビルを
売却されました。昭和
42年には中埜産業へと再度売却されて同社の名古屋支店と
なりましたが、昭和
46年には倉庫となり、その後はビル全体を看板で覆って
広告塔となっていた時期が長く続いました。平成
12年(2000年)、中埜産業から
名古屋市に建物が寄付され、翌年
4月、国の登録有形文化財に登録。
平成
15年から修復改修工事が行われ、平成17年(2005年)以降は地上部に
タイ料理店が、地下
1階には市民向けのギャラリーが置かれている。
外見は重厚で古き良きロマンを感じる建物です!

| star-nagoya1 | 07:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
バイパスとして作られた・・・・

毎日、知恵を絞り、ブログを更新しております。
もう、何年にもなると思います。
本日はホテルをご紹介致します。
スターナゴヤはJR名古屋駅太閤通出口、
新幹線出口から徒歩3分〜5分に

第1スターナゴヤ、第2スターナゴヤ、ニュースターナゴヤの
3館が御座います。基本的サービスは3館ともに
同じです!

お客様、雰囲気にて、
私共、スターナゴヤをお選び頂ければ幸いで御座います。

又、ご要望など御座いましたら、
お気軽にフロントにお尋ね下さいませ。

誠心誠意、お応え申し上げます。
 

佐屋路・佐屋宿

 東海道の「七里の渡し」のバイパスとして作られた「三里の渡し」
に伴い,開通したのが「佐屋路」です。3代将軍徳川家光が
1634
(寛永
11)に佐屋路を利用したのが,街道開設のきっかけだと
言われています。
1636年(寛永13)には,並木用として,
知多郡の松
2700本が植えられ,一里塚も設置されました。
1647年(天保4)には,岩塚,万場,神守,佐屋の4つの宿が完成し,
本街道の宮(熱田)〜桑名の海路に代わる陸の脇道としての
機能を発揮し,全国的に知られるようになったそうです。


また,女性や子供の旅人が多く利用したことから
「ひめ街道」とも呼ばれていました。

1843年(天保14)の記録によれば,佐屋宿には本陣・
番所・問屋の他,旅籠が31軒とされていて,
人口は
1260人に及び,佐屋路中最大規模の宿場となっていました。
海路の安全面へのリスクや船酔いを嫌って,多くの大名や著名人が
「七里渡し」を避けて佐屋路を利用したそうです。
また,歴史上の著名人も利用した。
以下,現存する文献他の記録から挙げてみます。


〇徳川家康(1615年4月,佐屋から乗船し,桑名に着いたとされています)
〇尾張藩初代藩主の義直公
(有馬温泉に行く際に利用しました)
〇オランダ人商人のケンペル,オランダ人医師シーボルト
〇三井越後屋〇伊能忠敬(測量時に利用したと思われます)
〇松尾芭蕉(佐屋に「水鶏なくと人のいへばや佐屋泊り」という句を残します)

| star-nagoya1 | 07:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
歴史散策です!

おはようございます。
私共のHPで名古屋の雰囲気やホテルの
雰囲気を感じて頂ければ、幸いでございます。
毎日、名古屋や愛知県に関係する何かをテーマに
選びブログお届けいたしております。
本日は愛知県下に残る歴史をテーマに選びました。

歴史散策です!
愛知県にも大切にしなくてはいけない歴史が沢山残っています。
お時間が許されましたら、お出かけ下さいませ。

三河国分尼寺跡史跡公園とは、愛知県豊川市にある史跡公園。
公園内には、三河天平の里資料館もあります。豊川市が、
1999
年度から2005
年度にかけて歴史的文化遺産である三河国分尼寺跡を
保存して永く後世に伝えていくために保存整備事業を実施したそうです。
三河天平の里資料館
資料館内では、展示や映像によって古代三河国の概要を解説しているほか、
最新の発掘調査情報を発信しています。また、歴史講座や体験教室を
開催して、郷土の歴史を学習する施設にもなっているそうです。


開館時間〜9:00 - 17:00
入館料〜無料。
休館日〜毎週火曜日、国民の祝日の翌日、年末年始。
所在地〜愛知県豊川市八幡町忍地127−1
アクセスは名鉄名古屋本線国府駅から徒歩25
名鉄名古屋本線 国府駅から豊川市コミュニティバス
豊川国府線(豊川駅前行き)で「筋違橋」下車、徒歩約10

東名高速道路音羽蒲郡インターから車で15
東名高速道路豊川インターから車で20

 

| star-nagoya1 | 07:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
奈良,平安時代から海運が盛んな土地でした。

何かをテーマに見つけ、取り上げております。
決して有名では御座いませんが、
何か由来ある何かや、普段、気にも留めませんが、
テーマに選んでお届けいたします。

ご覧頂き、(へ〜!そうなんだ!)と感じて頂ければ、嬉しく思います。
スターナゴヤはどこへ移動するのもとても便利です!

碧南のしょうゆ  

衣浦湾に面した碧南では,奈良,平安時代から海運が盛んな土地でした。
江戸時代に入ると,更に物流が盛んになり,多くの産業が栄えた。
その中の一つがしょうゆづくりです。

碧南の地でしょうゆづくりが始まったのは1789年(寛政元)ごろであると
伝えられています。碧南でしょうゆづくりが盛んになった理由としては,
醸造に適した矢作川の水が豊富であったこと,
矢作川流域が穀倉地帯であったことがあるそうです。

碧南では,しょうゆの種類の中でも特に白しょうゆの醸造が盛んで
,全国シェアのおよそ半分を占めています。この白しょうゆの
醸造が始まったのは大正時代末のことです。


白しょうゆの醸造方法には大きな特徴があります。通常のしょうゆを
醸造する際には,主な原料として大豆を8〜9割,小麦を1〜2割の
割合で用いて,発酵熟成させる期間を半年以上かけているそうです。
そのために,うまみは出るが大豆の色が濃く出てしまい,
料理の色合いを損ねてしまうのだそうですが,白しょうゆは大豆を
1〜2割,小麦を8〜9割の割合で用いて,発酵熟成させる期間を
2〜3か月とすることで,しょうゆの色をなるべく薄く抑えているそうです。
そのため,食材の彩りを大切にする日本料理などに多く用いられています。
近年では,この白しょうゆにだしを加えた白だしが商品化され,
家庭でも手軽に白しょうゆを用いることができるようになってきています。

白しょうゆの起源にはいろいろな説がありますが、
江戸時代後期1800年頃に、「嘗め味噌」の一種の経山寺味噌
(金山寺味噌)の上汁が色が淡く、美味で調味料として
面白いのではないかと言うところから当時の三河国新川
(現在の愛知県碧南市)で作りだされたと言われています。

白醤油は、東海地方(特に愛知県)の特産物です。色は淡い、
独特な風味の醤油です。原料は小麦がほとんどで、大豆が少量使われる。
小麦が主原料なので糖分が高いのも特徴です。また一般的に、
白しょうゆは加熱殺菌処理をしていませんので、酵母が生きています。
賞味期限も他の醤油に比べ短くなっています。

茶碗蒸、おでん、丼物、吸い物、鍋物、玉子焼、麺類、
中華風料理、西洋風料理等の料理によく使われます。



現在でも白醤油は、愛知県三河地方(碧南市、西尾市、安城市など)が中心で生産されています

<所在地>  碧南市西山町3−36 (名鉄三河線北新川駅下車徒歩10


 

| star-nagoya1 | 07:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
池には伝説が有るそうです!

 

初めに、スターナゴヤHPをご覧下さり、

心より感謝申し上げます。
毎日、名古屋に関係する何かを取り上げております。

毎日、名古屋にこだわらず、愛知県下や、
中部地方をテーマに選んでおります

又、毎日違うテーマでお届けしていますブログです。

過去のブログ含め、お楽しみ頂ければ幸いで御座います

感じて頂ければ、幸いでございます。

今日のテーマは愛知県の隣の県、
岐阜県からテーマに選びました

夜叉ヶ池は、岐阜県と福井県の県境付近にある池。
1986年に「岐阜県の名水50選」に選定されています。
岐阜県揖斐郡揖斐川町と福井県南条郡南越前町との境の、
標高
1,099 mの山頂付近に位置する(三国岳系統の山)。
周囲は原生林におおわれている。数十万年前に起きた
地滑りによってできた窪地に雨水や周辺の山からの伏流水が溜まり、
池になったと考えられているそうです。

 

池からの河川の出口がなく、伏流水となって周辺に湧き出でるため、
九頭竜川の支流の一つ、日野川(福井県)の水源地といわれている。
昔より、雨乞いが行われていた池であり、畔には奥宮夜叉龍社が
あります。ヤシャゲンゴロウ(夜叉ヶ池だけに棲む固有種)
絶滅危惧種が生息しているそうです。以外にもモリアオガエル、
アカモノ、カタクリ、ミツバチ、チグリトクワカソウ、ニッコウキスゲ等、
中部地方のの低山でありながら亜高山植物が多く、
多種の昆虫も多いそうです。


夜叉ヶ池には伝説が有るそうです!

 

1つ目は〜817年(弘仁8年)、この年の美濃国平野庄
(現岐阜県安八郡神戸町)は大かんばつに見舞われ、
あらゆる作物は枯れる寸前であった。ある日、
郡司の安八太夫安次は、草むらの中に小さな蛇を見つけ、
ため息まじりで、「もしそなたが雨を降らせるのなら、
私の大切な娘を与えよう。」と語った。


するとその夜、安次の夢枕に昼間の小蛇が現れ、
「私は揖斐川上流に住む龍神だ。その願いをかなえよう。」と語った。
すると、たちまちのうちに雨雲がかかって大雨が降り、
作物は生き返り村は救われた。翌日、約束どおり娘をもらう為、
小蛇(
= 龍神)は若者の姿に変えて安次の前に現れた。
安次には
3人の娘がいたのだが、安次が娘たちに事情を話すと
、一番心がやさしい次女(三女の説もある)が、
「村人を救っていただいたからには、喜んでいきます。」
と答えた。驚いた安次は、「何か必要な物はないのか。」
と問うと、娘は、「今、織りかけの麻布がありますから、
これを嫁入り道具にいたします。」と答えた。
こうして娘は龍神の元へ嫁ぐことになり、麻布で身をまとい、
若者(
= 龍神)と共に揖斐川の上流へ向かっていった。
数日後、心配した安次は、娘に会う為に揖斐川上流へ向かった。
やがて、揖斐川上流のさらに山奥の池に龍神が住むという
話を聞き、その池にたどり着いた。安次は池に向かい、
「我が娘よ、今一度父に姿を見せておくれ。」と叫んだ。
すると、静かだった池の水面が波立ち、巨大な龍が現れた。
龍は、「父上、これがあなたの娘の姿です。
もうこの姿になったには人の前に現れる事はできません。」と
告げ、池の中に消えていった。

安次は龍となった娘を祀る為に、池のほとりと自宅に、
龍神を祀る祠を建てた。この娘の名を“夜叉”といい、池の名を娘の
名より“夜叉ヶ池”と名づけたという(娘の名は不明で、
後から池の名から“夜叉”とおくられたとの説もある)。
安八太夫安次の子孫は現在も岐阜県安八郡神戸町に健在であり、
今は石原姓を名乗っている。岐阜県安八郡神戸町大字安次に
ある自宅には、安八太夫安次と夜叉を祭る夜叉堂がある。
夜叉堂参拝する際、個人宅の為、事前に連絡し予約が
必要である。また、夜叉姫は、夜叉龍神社にて
夜叉龍神という名で祀られている。

 

アクセスは〜岐阜県揖斐郡揖斐川町にある、
夜叉ヶ池登山口駐車場から、約3km(徒歩約90分)。
ハイキングコースだが険しい箇所もあり、ある程度の準備は必要。

 

| star-nagoya1 | 07:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
建材には主に松が使われ,屋根は茅葺きの寄棟造である。

久しぶりに名古屋をご訪問くださるお客様、
始めて名古屋をご訪問くださるお客様、
より名古屋が身近に感じて頂ければ幸いです。
本日は名古屋市内ではございません。
名古屋近郊の都市でテーマを見つけました。
本日のテーマは有名な観光名所ではございませんが、
残っていけばよい、素晴らしい建築をご紹介致します。

市木辻堂

お堂(市指定有形民俗文化財)の大きさは,間口2間半(4.5m)・奥行き2間(3.75m)で,
建材には主に松が使われ,屋根は茅葺きの寄棟造である。
周りからの見通しがよいことから「四つ見堂」とも呼ばれていました。


境内の北端には,1810年(文化7)の記銘のある石の常夜灯があります。
辻堂の建築時期は明らかではないが,この常夜灯と同じころに建てられたと考えられます。
かつてこの常夜灯辺りで,善光寺街道と古瀬間街道が交わっていたそうです。
辻堂はこうした道辺に建てられたお堂で,街道を行き交う旅人の一時の休憩所であり,
市木集落の人々のくつろぎの場であったと思われます。

  お堂の正面奥には観世音菩薩が祭られています。ま
た右奥には,雨ごい行事に使った鶴亀の板がある。この板は欅の板で,
鶴と亀が浮き彫りになっています。長い間雨が降らない時には辻堂近くの
市木川でこの板を洗い,村中総出でお祈りをしたということだそうです。
霊験あらたかで,お祈りするとたちどころに雨が降り始めたと言われています。

市木町のバス停から北東(鞍ケ池方面)へ向かって歩くと,
すぐ右に辻堂の屋根が見える。お堂に上がり,
見上げると茅葺き屋根の構造がよく分かるそうです。

<所在地> 豊田市市木町神明20(名鉄三河線豊田市駅下車,
名鉄バス矢並線足助行乗り換え市木町下車,徒歩1分)

 

| star-nagoya1 | 07:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
河童伝説!

おはようございます。
私共、スターナゴヤHPをご覧下さり、
重ねて御礼申し上げます。以前スターナゴヤにご宿泊頂いたお客様!
又、初めてスターナゴヤにご宿泊頂けるお客様、
毎日、愛知県下や名古屋市内に繋がる何かをテーマに選び
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本日は名古屋市内、とても、ご利益があるとされる
神社をテーマに選びました。言い伝えがある神社だそうです!!


塩竃神社の河童伝説!
 
言い伝えでは、山王橋の西北角の橋からお尻を川面に映すと、
痔の悪い人はこの神様が治してくれたという。キュウリやスイカを供えて
祈願すると、更に霊験があらたかだそうです。
また、この神様は、夏になると川の土手で子供たちと甲羅干しをしたり、
一緒に遊んだりするなど、子供の守護神でもあったというそうです。


 
塩竃神社の無三殿社に河童伝説があることは知る人には知られているそうです。
河童はもとは水を支配する神の化身でしたが、ここの河童は人の痔をなおすそうです。
明治45年の江川線の敷設工事で出土した石がご神体。河童伝承は清き流れの堀川への憧憬でもあります。

日置の起源には諸説があるそうです。日置はチャム語では泣女のことで、
日置川(熊野川の下流)の日置部では安宅
(あたき)という官職を設け、
泣女を使いケガレを清める役目を持っていました。この部落に住んでいた部族を
日置部の祖とする説をあげています。また、日置部を「き」族だとする説があるそうです。
「日本書紀」にも侏儒を「ひきひと」と訓
()ます実例があります。「ひき」とは
引田、引出、引津などのように低地帯を指す古語です。日置の分布からみても、
海岸地方に多いところから、き族はアイヌ伝説中にあらわれてくる
コロポックルとされているネグリートの一部ではないかと、推定しているそうです。

この村のうち、江川と笈瀬川の間が、現、中川区の行政区内になっている。
この村の周辺は湿潤な土壌を利用して藺の植え付けが盛んであったそうです。

 
塩竃神社
名古屋市中川区西日置一丁目7番10号に御鎮座され、昔、日置枝郷と称し、
僅か7戸程の空地に産土神として奉鎮されました。

塩竃神社の御祭神は塩土老翁神・武甕槌神・経津主神の三神を御奉祀する。
延命長寿・交通安全・産業開発・特に安産・虫封の守護神として
御神徳高く全国より崇敬尊信せらる。

神話に、海幸彦・山幸彦の物語の中に、山幸彦(御本名を彦火火出見命)
ー神武天皇の御祖父ーが、大切な釣り針を失って困っていらっしゃる時、
白髪の老人がお出になって、易々と事難を解決なされて、御難儀をお救いになった
そのお方が塩土老翁神で、「東方に良い地がある。ここに都をお遷しになって、
天下を正しく治めになれば、末永く栄える、弥栄の国となる。」ことを、お教えになり、
御自身で進んで御案内申し上げて、日向の国を立たせられ、大和の国にお進みになって
橿原に都をお定めになりました。その後東国鎮護として、今の奥州にお進みになり、
土地を開拓して、産業を興し奨め、また初めて海水より塩を造ることをお考えになりました。

天照大神のお使いとして、出雲の国に渡られ大国主神と御会談、戦争をなさらず、
平穏裡に、国譲りの大業を成し遂げられ、国土開発と住民の安寧福利とに
御努力された武士の神であります。

よく三代の神にお仕えになり(延命長寿)、
しかも国土の弥栄の基を予言し実行され、如何なる難事も易々と解決に導き、
しかも成就し(安く産みまとめる)、また1日も欠くことの出来ぬ塩の製法をお授けになり、
土地を拓き、産業を興し、増産に御努力(殖産興業)なされた神。
或いは武士の神でありながら戦いをいとい、平和裡に国土を治めになって、
武の真意と武人のあり方とをお教え下さった高い御神徳の神様である。

由緒は〜社伝によれば、慶長15年(1610)名古屋城築城に際し
工事無事遂行を祈願し、尾張藩士岩田藤忠奥州一宮塩竃六所大明神を勧請して、
堀川の淵に社地を定め奉斎する。築城関係の諸大名の崇敬特に篤く、
福島正則は手洗盤を寄進した。延宝年間(1673〜80)
尾張藩主松平泰久境内を整え社殿を改修する。文化13年(1816)
秋百姓善蔵日置村字巾に移し祀る。天保6年(1835)9月字中田の現在地に遷し同村の
氏神として奉祀し、昭和5年社殿を改築造営する。同年10月村社に列し、
同11年10月指定村社となる。

境内社には神明社、津島社、秋葉神社、無三殿社、白光竜神社、
塩玉稲荷社、清雪社がある。

5月3〜5日に安産・虫封じの育児大祭があり、釜型の土鈴を授けているそうです。
また、境内社の無三殿社は全国でも数少ない痔に霊験のある神として
河童伝説と共に有名です。


 
余談ですが!!!スターナゴヤ近くの椿神社のも河童伝説がございます!
スターナゴヤの所在地、椿町!椿町の神社の河童伝説です!!

由緒〜創建年は分かりません。東に笈瀬川という川があり、
この笈瀬は「御伊勢」という意味だそうです。
昔からの言い伝えでこの川には河童がいて、
子どもに化けては相撲をとり負けたことがなかったそうです。
近くに住む老武士に悪さを仕掛け逆に取り押さえられましたが、
命は助けられ笈瀬川に逃げ込み、それからは姿を現さなくなったとの言い伝えがあります。

 

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