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名古屋郊外や愛知県県下、又、電車で少しの時間で行ける範囲
『1時間〜2時間を思っています』
久しぶりに名古屋をご訪問くださるお客様、
始めて名古屋をご訪問くださるお客様、
より名古屋が身近に感じて頂ければ幸いです。
本日のテーマは愛知県下!重要文化財です!
愛知県下にも歴史文化遺産として残されています。
三明寺は、愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院。本尊は千手観音。
通称を豊川弁財天または馬方弁財天といい、平安時代の三河国国司の
大江定基が、愛人の力壽姫の死を悼み、力壽姫の等身大弁財天を自ら刻して
奉納したものと伝われています。弁財天は裸身であり、十二単を着ており、
12年に一度(巳年)に替えられるそうです。境内にある三徳稲荷は、
西島稲荷の分祀であり、三つの願望成就するとされています。寺伝に
よれば、702年(大宝2年)、文武天皇が三河国に行幸のおり、僧覚淵阿闍梨に
命じて堂宇を建立したのが始まりだそうです。平安時代後期、源範頼の兵火により
焼失し荒廃しますが、応永年間(1394 - 1428)に無文元遷禅師
(後醍醐天皇第11皇子)が復興したそうです。このさい曹洞宗に改宗し、
千手観音を本尊とした。また、三重塔を建立し、大日如来像を安置しています。
1531年(享禄4年)、三重塔が再建され、1554年(天文23年)には本願光悦により
弁財天宮殿が再建されました。現存する本堂は1712年(正徳2年)
岡田善三郎成房により再建されたものです。三明寺は、文武天皇の詔を受けて
建立されたと伝えられてる寺で、弁財天が本堂内の宮殿にまつられています。
この寺の三重の塔は、第一層と第二層が和様、第三層が禅宗様(唐様)になっており、
全国的にも珍しく、明治40年に国の重要文化財の指定を受けました
三明寺は大宝年間(694〜703年)の創立と伝えられますが、
12世紀後半に、一度戦火にあい、焼失しました。その後南北朝時代に
後醍醐天皇の子の無文元還が、遠州方広寺に行く途中ここに立ち寄り、
その荒廃を嘆いて再興されたと伝えられています。
諸堂中最も古いこの三重塔は、享禄4年(1531年)の建造で、
総高14.5mの?葺の小塔です。
一層、二層を和様に、三層を禅宗様にしたものが全国的にも珍しく、
三層の軒の反りが大きく、扇垂木であること、
鎬のある尾垂木などに禅宗様の意匠が認められます
辨才天を御本尊とする龍運山三明寺は、曹洞宗に属し、平安朝の頃
、三河の国司大江定基が愛人力寿姫の死を悲しみ、面影を永久に残そうと
辨才天の御像を刻み納めました。
この像は十二単重の御衣装を召され、干支の巳年にあたる年の
正月16日に御衣装替えを執行し、開帳する慣しになっています。
現在では、三河七福神の霊場の一つとして紹介され、安産・芸道・
福徳・海運の守護神となっています。
三重の塔は明治40年に、辨才天宮殿は昭和28年に国指定の重要文化財になりました。
■住所〜豊川市豊川町波通37 ■交通・JR飯田線「豊川駅」、
名鉄豊川線「豊川稲荷駅」下車徒歩約5分
・名鉄豊川線「豊川稲荷駅」下車徒歩約10分
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